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茨城県潮来市
真言宗豊山派 瑠璃光山
観音寺

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DATE

「四月一日」というと、世間では新年度の幕開け(正確には2日からですね)、それにエイプリルフール、などのイメージがあります。

しかし日本の歴史上、我々が忘れてはならない大きな出来事の日でもありました。

それが太平洋戦争における沖縄戦の開始日です。1945年の四月一日、太平洋を征したアメリカ軍が日本本土上陸を狙うための拠点確保として、沖縄本島に上陸攻撃を開始しました。沖縄中部の読谷(よみたん)村の沖は、コバルトブルーの海が真っ黒になるほど軍艦が押し寄せ、沿岸に一斉砲撃をくわえた後、総勢力数十万人のアメリカ軍が上陸をしてきました。

兵力兵器ともに圧倒的に遅れをとっていた背水の陣の日本軍はみるみる間に敵の南下を許して、首里城の本陣を陥落されます。ここで降伏していたら、すでに出ていた大損害や大量の犠牲者をせめてここで止める事ができたのでしょうが。悲しいかな、当時の日本大陣営の指令は、全員玉砕の限界まで抵抗し、少しでも日本本土へのアメリカ進軍を引き延ばす事でした。

そのため、軍部はさらに沖縄南部の糸満の地へ引き下がり、最後の抗戦を行いました。この糸満へは、沖縄全体から民間人が避難しており、結果大勢の非軍人が無念のうちに巻き込まれ、大勢が軍国教育のもとで自決を迫られました。

沖縄全体が悲惨な運命に巻き込まれましたが、なかでも南部地域はその最たる地だった訳ですね。これは絶対に風化させてはいけない歴史です。平和が訪れた現代だからこそ、我々が語り継いでいかなければならない歴史です。

実はこの四月、沖縄糸満の地を家族で訪ねてきました。沖縄陥落の最期に大勢の住民が飛び降り自決をしたという、糸満最南端の断崖の海岸。そしてその周囲にある平和祈念公園もこの目で見てきました。美しい緑と海の青をもって迫ってくる絶景はとても印象的で、とても悲惨な過去が存在するなんて信じられないほどでした。

沖縄を訪れた理由のひとつは、この糸満に真言宗豊山派の唯一の沖縄寺院、長谷寺さんがお在りになり、こちらを訪れることでした。

ご住職の岡田弘隆先生は、元々東京でご住職と弁護士をされていて、七年前、観音様のお告げを受け、この戦争慰霊のために糸満の地に観音様を造立、長谷寺をお造りになられたのです。

さらにこちらの副住職は、私の修業時代の同期生というご縁があり、また自分も歴史にとても興味関心があるので、ぜひ糸満に行きたかったのですね。

 

長谷寺の境内にお邪魔すると、想像していた以上に身の引き締まる思いがしました。著名な彫刻家、松本先生が手掛けた観音様は吹き抜けの本堂に光を放っておられ、しばらくは見とれてしまうようなお姿をしていました。窓からみえる境内には南国の色鮮やかな花々が咲き乱れ、本堂には南国特有の湿度をもって風が心地よく流れ込んできていました。

また長谷寺さんの素晴らしさはその御本尊だけではなく、糸満の地域に密着し、ありのまますべてを地域の皆さんに解放していらっしゃること。たくさんのイベントや企画が催されていたり、またそのお手伝いをされているそうで、住職、副住職の生活スペースであるキッチンリビングすら、地域の方の会合所になっているそうでびっくりしました。

個人的には沖縄慰霊訪問の意味合いと併せ、長谷寺の岡田先生から学ばせていただいた事が数多くありました。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

 

また、沖縄に訪れる機会がおありの方は、是非、糸満市に足を伸ばしていただき、長谷寺さんにも御参拝ください。

沖縄で一番心が洗われる、そんな名刹であられると思っております。

 

沖縄山城間院 長谷寺

沖縄県糸満市潮平1番地

TEL 098-852-3533